発達あるある@謝れない。ゴメンてまず言うのは会話の順序
homme non-reconnaissable se cachant derrière une ardoise d'école sur laquelle est écrit en anglais je suis désolé

 

ASD娘の子育てで頭を悩ましていること最上位に君臨しているのは素直に謝罪できる人になれるかな?いうこと。

その想いをツイートしたものがわりと共感を頂けた。

 

わかるわかる~と頷いてくれた方がいた半面、別の視点を持つ方達により様々な論争にも向かってしまった。

ただただゴメンねの一言がするっと出てくる人になって欲しいという母親としての願いツイートから様々なご意見を頂く。

謝れば負けなんでも謝ればいいってもんじゃないまぁ一理ある自分の主張も大事、etc.

不思議な意見だなぁと思うものもチラホラ…?

私的に強く思ったのは戦ってどうする?という感想。

謝れば負け、自分の主張、・・・そんなものいる?

勝ってどうする?どうなる?ていうか、どの状態が勝ちなの?と…グルグルと答えの出ない自問自答をしてしまう。

 

ごめんねは、ただ人と気持ちよく付き合っていく為のアイテムだと私は思っている。

もし間違えたならば、失敗したならば…ワザとじゃなくとも自然と「ゴメンね」の一言を添えればいいんじゃないのん?と思ってる。

あくまでも子供でも遭遇するような日常的なことで例えるならば、相手だってワザとじゃないと理解していることが大半だろう。

「全然大丈夫よ」なんて類の返答があり許してくれるのでは?

それが理想的な会話の順序、コミュニケーションであり、生きていく上でシンプルに正解の形なんではないか?と考える。

 

とうぜん別パターンもあるでしょう。

こちらがコミュニケーション上の会話の順序としてゴメンねを使う、すると何か相手はプンプン怒っていたり、あたかも自分は被害者だという態度をしていたり…

そうなれば「私は悪くない」とこちらもムカッとしたりするだろう。

そのような人はヤバイ人認定でいいんだと私は思っている。

距離を置こうと冷静に判断したいところ。

冷たい意見?私はそんなことないと思う。

世の中の人の大半がニコニコしていても心の中では「こいつアホやな」と思っているのかもしれないと意識することは大事だと思う。

それは謙虚さにも繋がるだろう。

そこまで成長してくれたら尚良しなんだけどね‥‥先のことはあまり考えるとしんどくなる。

 

シンプルに生きていくにはゴメンねをまず使うことは必要な事だと思う。

 

そんなことを悶々と自分の中で考え確かめるきっかけとなったトンチンカンなご意見も素直にありがたい。

そしてその時についついしてしまったツイートも念のため貼り付けておこうかな。

 

こういうことです。

 

Twitterという文字数制限がある中、私の文章力では真意を伝えきれていないこともあり、とうぜん的外れコメントは来るだろう。

しかしそのコメントに対しての共感etc.私のスレ上でどんどん広がっていく議論には勘弁して欲しいと思いながらも勉強にもなった。

もはや別の話になってる連鎖を観察…それがTwitter(><)

 

うん、しかし主治医とも話してたんだけど、謝るってかなりの高等技術になるから本当に難しい問題よね、ということ。

謝れば負け、何でも謝ればいいってもんじゃない、この意見もステージや背景が変わればもっともな意見にもなる。

極端な話、犯罪絡みのトラブルに遭遇し、瞬時に謝ってしまったりして汚名を着せられることだってあるかもしれない。

そのような応用編を扱えるようになるかはわからないけれど、とにかく今は日々の生活、支援の場を利用して謝罪をテーマに訓練していくしかないのかな…ということ。

 

とりあえずは人としての会話の順序初級編として、まず間違ったらゴメンねは、幼いうちに身につけさせたい。

 



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