発達障害児 海外へ お勉強は残念でも耳だけは良かった英語への道

お勉強は天才タイプではなく残念タイプだった

 

たとえば息子は

学習面がとてつもなく大変なことになっていて

 

発達障害児の中には

お勉強面で天才と呼ばれるほどの才能を発揮できる人もいるけど

我が子は逆パターンである残念なタイプとしてこの世に誕生してしまった。

 

 

早い段階で母である私は気づいていた。

 

おかん
こいつはバカだな…💦

もちろんそんな不安は周囲にも相談してみたりして…

友人や身内や保健士さんとか

 

しかし皆の反応といえば私のモヤモヤを解決してくれるものではなく

 

周囲の声
まだ小さいのにオカシイと決めつけて可哀そう

 

 

得ることが出来るのはそんな類いの返答のみ。

私の不安なんて誰も耳を傾けてくれていない。

モヤモヤが増すだけだった。

あの頃は発達障害への知識がこの国自体になかったんで

この育てにくさや不安

それが何なのか私にもわからなかったし

本当に難しい問題だった。

 

幼児教室に通わせ矯正を考える

 

とにかく親の私が何とかするしかないのだと立ち上がり

最初に思いついたのは幼児教室。

小学校入学までに一般的なレベルにもっていきたいなんて安易な考えが今では恥ずかしい。

完全に方向性が違う

幼児教室に行ったところで

多動児に良い変化なんて見られるわけがない。

 

先生達も…

 

先生
何、この躾のなっていないガキ!

 

そんな扱いだった。

 

多動児を無理やり座らせて勉強させようとするだなんて…

本人に辛い思いをさせてしまっただけという結末。

 

虐待と同じようなもの。

 

病院で受診して理由がわかる

 

病院でADHDという病であると知ったのはそれから間もなくのこと。

意外にホッとした私に出会う。

息子本人も喜ぶ。

 

ちゃんと理由があったんだ

 

そんな安堵感に私たちは支配されていた。

 

今までのことを振り返ると、

この育てにくさは自分のせいだと自らを責め立て疲れきっていた私

 

息子本人も、

普通の生活を望んでいるのに何故か暴れてしまう自分に苦しんでいた。

 

大人に叱られる行動をしてしまう訳がわからない日々に疲れ

病院に行ったら大人に怒られなくなるかな?

そう本能的に感じたのかもしれない

病院へ行こうと言い出したのは5歳の息子だったので

 

生きづらい日常に疲れ、何気に口をついて出たんであろう幼い子供の言葉、

それを聞き逃さずキャッチした私

何かにすがりたかった二人の気持ちが上手い具合に病院へ導かれたんだろう。

 

小さな子の純粋な苦しみに救われたのは 私の方だった。

 

彼はバカだけれど精神的な自立という面では、この頃から誰よりも飛びぬけていたように思う。

日本をたった一人で飛び出して行ってしまった行動力を目の当たりにしたのは

彼が中学2年生の時。

 

勉強はダメだと悟ったあの時から約10年の月日を経て

そんな特殊能力があったんだというとこまで辿りつくことになる。

 

発達障害児の得意なこと探し

 

診断名を知り、育てにくい理由がわかった。

それからの日々は今までとはガラッと変わることになる。

出来ることをさせるしかないんだ。

 

勉強がダメそうならば、それ以外の出来ること。

得意なことを見つけるプロジェクトスタート!

といっても習い事くらいしか思いつかない。

 

そんなわけで色んな習い事をさせることになる。

予算の都合を考えながらの親には辛いプロジェクト💦

 

とにかく学問を習得することを諦めたんなら人生の経験値を上げるしかない。

このバカな子が生きてゆく方法はそれしかないと、様々なジャンルの習い事を経験することになった。

 

しかしイライラはすぐに訪れ癇癪をおこす。

大暴れする。

そんな多動児を学ばせるのは簡単ではなかった。

お勉強よりマシだろ!?頑張ってよ!なんて言い聞かせたりもして…

 

そんな努力の甲斐もあったのか

結果的に経験させたものの中で得意なことと言えるものがあった。

英語だった。

 

耳が良いという特技があり

耳からの言語の習得が驚くほど早かった。

読み書きは出来ない。

とにかく耳が良かった。

のめり込んでいく英語に未来を重ねだす年齢が訪れると

一点の曇りもなく海外へと視野を広げることとなる。

 

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