
このブログでも散々ネタにしてきた周囲の理解について。
時期が変われば私の捉え方も変わるような気がするから、
久々に振り返ってみようと思う。
昔にさかのぼると、
息子の幼い頃は発達障害への情報、知識が日本にほとんどなかったんだけど、
そんな時代に私は発達障害児を授かってしまうことになる。
私が純粋に”育てづらい”と感じたのが始まり。
あまりにも異常な多動行動だったもので。
そんなこと言われても
私なりに一生懸命に子育てに取り組んでるつもりです…😢
打っても打っても響かない子育て。
それでも私は打ち続けた。
少しでも周囲から批判されなくなるように。
皆に愛される我が子になってくれるように。
何が何だかわからない日常の中で、私は本能的に考えていたことがある。
この息子の異常行動は、周囲にバレない様に隠さなければならないもの?
気づかれない様に、ごまかすものなのか?
それでは何も解決しないのではないか。
このままでは、この子に幸せな未来が待っているようには思えない。
純粋に感じた育てづらいという感覚を信じたい。
そして頑張っている自分を信じたい。
きっと何かあるはずだ、と考え始めた私はソレを知りたい衝動にかられた。
何かに気付いた私は、無性に次のステップに進みたくなった。
そんな私たちに転機が訪れたのは、
周囲からはバカにされながらも受診を試みたあの日。
『これは脳の病気です。
今まで頑張ったね。よく一人で育ててきたね。』
初めて診断が下された時に、
初めて頑張ってきたと褒めて貰えた。
初めて自分が間違っていなかった?と感じとれた瞬間。
息子氏、5歳の時。
あの主治医の言葉が、私の子育て人生に大きな影響を与えることになる。
今でもどんなに辛くても頑張って子供を応援できるのは、全てそこに原点があるはず。
この話題はTwitterでも随分と皆さまに共感を頂けることに。
昔、息子がADHDだと診断された時の主治医の一言が今でも励みになってる。
— Okanと破壊的な多動児 (@monkey_no_mama) May 14, 2019
『今まで頑張ったね。よく一人で育ててきたね』
他人どころか家族にさえ育てにくさを理解して貰えなかった私には何よりも活力となった言葉。
私のせいじゃなかったんだ。
子供が悪い子な訳ではなかった。
言葉とは魔法だな
しかし、
その後も診断を下されたからといって周囲の理解が変わるわけではなかった。
もっともっと辛いことも待っていた。
発達障害の情報が世に浸透した今となっても、その名残は消えない。
不器用な私は周囲と上手く渡り合えなくて、もがき苦しんだ。
けれど、私が純粋に子供の育てづらさを見逃さなかったこと、
そこだけは昔の自分を褒めてやりたい。
もしその気づきがなかったら、
私たちはどうなっていたんだろう・・・
少し想像しただけで身震いがする。
周囲の声を真に受けて、自分が悪い、この子が悪い、私たちが悪いのだ!
そんな風に結論づけて生きていたら。
私たちに学びはなかったのだから。
人生、ヒヤヒヤもん。
たった一つの選択で、幸か不幸か大きく道筋が変わってしまうんだから。
気づきと判断力
それは子育てに関わらず、
人生において一番重要なことなのは言うまでもなかった。